プロフィール

Es

Author:Es
東京のすみっこ在住
更新時間:深夜0時

夜寝る前に明日の不安で一杯で仕方がないという時に書き散らしています。
翌日になると最近はほぼ覚えていません。
みなさまにとっては全く有意義ではない自分の記録のみを書き綴っております。

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3/28




冬が終わり、春が来た。
年をとるのがとても早い。

最初は一冬の間だけここ横浜に引っ越したつもりが
いつの間にか2回目の春を迎える。

帰れるんだろうか。

でも、悲しいことに帰れる場所も実はもうない。
正確には帰っても以前のような居場所はない。

実家付近はもう、自分たちの世代はいない。
もう、みな大人になってしまって寄り付かない。
正月とお盆だけ人がいる。

帰ったとしても迷惑だろうと思う。
それに宝物だった車も売ってしまったし、自分の部屋は荷物置き場になってる。

時々、実家には帰るけども以前のような安堵感は感じないし
ただひたすらに退屈なだけ。

出ないほうが良かったかと聞かれると、やっぱり出たほうが良かった。
出られて幸せだったと思う。

でも、出なくてもそれはそれで幸せだったかもしれない。
ただ、自分の殻を破ることができなかっただけで。

殻を破れずそのまま卵の中で腐ってもそれはそれで幸せなんじゃないかな。

ただ、もう少ししたらこのマンションも引き払ってどこかへ引っ越さなきゃ。

2年契約だからまだいてもいいんだけど、ここじゃないどこかへ引越ししたい。
正確にはここにだけは住みたくない。

3/15




最近、セブンスターのブラックを吸ってる。
安いのと、ライターがついてるのがうれしい。

ただ、なんかこのタバコすってからついてない。
以前のタバコはラッキーストライク。



USAで発癌率NO1の定評があるタバコ。
ただ、なんというかうまい。

それに名前もいい。
もどそうかな。


今日は、靴買った。
仕事用の靴がまたボロボロになったから買い換えた。

毎日磨いてたけど同じ靴を毎日はいてるとすぐにだめになる。
安い靴だから。

昨日は一日寝てたから、朝起きて絵を描いて掃除をして
洗濯してクリーニング行って風呂はいった。

なんか、身体が重い。

太ったかもしれん。

3/15





グーニーズやっぱり面白かったなあ。
俺がクリアーしたことのある数少ないゲームのひとつ。

昔のファミコンソフトってどれも面白いんだよ。

ただ、難点を言わせてもらえば、飽きるってこと。
ひとつのソフトが5000円位してた当時、徹底的にやりこまなければ
損だって考えがあった。

俺の場合はどれもやりこみが甘く中途半端だったっけ。

3/13





最近、携帯電話って普通になりすぎてもう興味がなくなった。
初めて、自分が携帯電話を持ったのは14年前。

当時はドコモとIDO位しかなかった気がする。
PHSは、アステルとNTTパーソナルとDDIポケットがあったっけ。

高校生でお金がないくせに、もってたなあ。
誰と話すわけでもないのに。

当時通話料がすごい高くて、8秒10円とかだったっけ。
なんか使える範囲もすごい狭いくせに、がんばって持ってた。

最初に買ったのはアステルで1年くらい使った。
機能がしょぼかったので次に、NTTパーソナルに買い換えた。
これは3ヶ月くらいつかって、遊んでる最中になくした。
最後にDDIにしたけど、これは良かったんだけど
高校を卒業したらみんな携帯電話にしてたから自分もドコモの携帯を買った。
ドコモは3年くらい使ったけど、高かった記憶しかない。
当時のストイックな彼女の電話から逃れたくて電話番号を変えればいいだけなのに、電話ごと変えた。

就職してからはIDO。今で言うAUに切り替え。
結構、安いし重宝した。
無職時代もAUは無職にやさしかった。
ネットしまくっても安かったし。

ただし、無職生活後半にウィルコムのEsが発売されてこれが気になりすぎて転職して今の会社に入り、お金も安いってことでウィルコムに加入。

会社の携帯は最初はドコモだったけど、今は経費削減でソフトバンク。

昨年からEMも通信費が安いのと適用範囲が大きいのでつかってる。

そういえば、全社加入経験あるのってなかなか貴重じゃねえか?
その分、電話番号変わりまくりってことなんだけどな。

3/11



また、yahooで買い物してしまった。
もう、ストレス発散で買い物依存になってる気がする。

今日買ったのはコート2点。
いまさらと思うけど、今年の冬はコートなしだったから。

仕事用のコートはあったけど、私服を着る機会がめっきり減って
服を買うということがなくなり、ああ・・これが老いか・・・とか思ってしまっているので
たまにはいいかなと。

すぐにでも実は送ってほしいんだよ。
もうすぐ暖かくなっちゃうからな。

一度くらいは着て外に出たい。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

3/4

今日は、仕事で決起集会を夜から横浜の駅近くの飲み屋でやった。
新しく人が入り、更に若さと勢いを増した自分の出向してる子会社支店は歓迎の仕方も派手。

まだ、若手だらけの会社なので力ある人間とない人間にきっぱり分かれる。
自分の場合、この会社ではないのである種独特のポジションに立たされているがこういうところ、いわゆるベンチャースピリッツにあふれた会社に属する人間は結構大変だと思う。
何より結果がすべて。

出せないと本当に奴隷。
パシリにされるのは勿論、ひどいと席がなくなったり仕事道具のPCや車がいきなりなくなったりする。
その場にいるということすら認められず、一方で辞めることも逃げることも許されない。

時々、自分のような外部の人間はそういう弱い立場の人間から愚痴をはかれやすい。
だいたい決まっていて、仕事をやめたい、逃げたい、生きているのがつらい、死にたい、等等。

大体、自分もそうだが朝は8:00~24:00がデフォルトで土日も曖昧な感じの職場だと誰しもそう感じる。
自分もそうだったし、毎日スーツの左ポケットには辞表を入れていて毎日辞めさせてくれといってた。

ただ、人間馴染もうとするのではなく、何かを諦めると結構そういう環境でも生きられる。
自分の場合、自分個人の幸せや理想の仕事像というのをきっぱり諦めたら楽になった。

ただ、時々何のために生きているのか疑問に感じたりする。
逃げるのではなく何かを捨てて身軽になって踏み込む勇気が必要なんだと、いまだと思う。
書くと簡単で、言うともっと簡単だけどこれは正直、死ぬ気にならないとムリ。
どこかしらで無理をしないと絶対ムリ。
自分の場合は個人の幸せというものを会社という集合体という場で生きている間は諦めたので、楽しいかと聞かれるとまったく楽しくない。
自己犠牲というのが当たり前、自分が最後という考えが染み付くとすべてが不幸せに見えたりする。
一時は体の端々が調子が悪く、病院をいくつも梯子したり入院を繰り返したりと馴染むまでにはかなりかかった。

きっと健康にはよくないなと。
実際、過労死する人や自殺者は結構頻繁だし。

労基署なんかにも何十回勧告を受けても変わらないところは変わらない。
だから、できる限りこういうところは辞めようと思う。
ただ、前のようにただ嫌だから辞めるという事はせず、自分の次の仕事や自分の人生においてきっちりとした明確な役割が決まり、いっそ働かなくていいというくらいお金をかき集めてから辞めようと決めた。

3/2




子供のころ、母の実家によく遊びに行った。
母の実家は千葉の房総半島の山奥で、近くに河があり
山があり、電車は単線でしかもそれを乗り継がなくてはならず
とてもとても辺鄙なところ。

電車は2時間に一本しか通らず、最寄の駅からはバス。
そのバスも3時間に一本。

バス停からも30分くらい歩く。

周りは鹿とか猿とか猪とか平気でいる。
とてもとても辺鄙なところ。

いつもは車で行くんだけど何回か電車で行った事がある。
乗り継ぎは簡単だけど、時刻表をみないで行こうとすると6時間はかかる。

時々思う。
どういう想いで母はこの地と家を捨てたんだろうって。

母がこの地を出たのは14の頃。
高校進学のためで、地元に高校はあるが超進学校しかなかったとのことで、実家が貧乏なのは学がないからだと思ったとのこと。
時は昭和30年代でまだ当時は女は高校なんかいかなくていいという風潮がまだあって、家で家事でもこなしながら地元の男性と結ばれるのが普通とされてた時代。
祖父は、千葉の田舎で漁やら猟やら農業の手伝いやらやってたらしい。
実際、母も祖父がどんな生業だったのか理解してない。

ただ、時々リアカーを引いてどこかに行ってしまい、家を空けたまま2,3ヶ月いなくなってしまっていた。
田舎の癖に土地もなく、特定の技術もなく、学もなく、よって時間ばかり持て余し、お金はなく学費にも苦労したとのことで
母の兄達は中学を卒業したらすぐに職人のところに弟子入りし働きに出たという。

自分の中にある一番古い祖父との記憶は、炬燵に座り何をするわけでもなく家族の話を聞いている祖父。
めったに話をしない人だった。
実際、話し声を聴いた記憶がない。
一度、祖父が大切にしていた舟に乗せてもらったことがある。
大人だったら3人も乗れば沈んでしまいそうな舟。
それに祖父と、叔父と、兄と、自分で乗った。
舵なんかなく、オールなんてものもなく、竹の棒きれ一本ですすむ舟。

30mほど進んだら祖父は竹棒を離してしまい、あわてて叔父が手でこいでる記憶と、舟が水漏れしてて結局100mしないで沈んだ記憶がある。

釣りを教えてくれたのは祖父。
竹の棒切れに釣り糸ではなくタコ糸を先に結びつけただけの釣竿。
エサはパンの耳。
今思うと、パン耳で釣れるのは鮒か鯉だとわかるけど当時はなーんもわからず黙って従って釣糸を垂れてた。
また、いまだと気づくんだけど鮒ならまだしも、鯉なんかが引っかかったら一発で折れるだろうなと。
それでも、祖父はいつも適当な竹を折って釣竿を拵えていた。
一度として釣ったのを見たことがない。
何度も何度も川に誘われていった。
でも毎回、パンの耳を川に流してるだけに見えた。
いつも自分はその魚のエサのパン耳を食べてそれを見てる。

どこまでいってもヘタレな祖父で、釣りをしてもダメ、舟を漕いでもダメ。
好きなのは花札と将棋と釣りと読経。
酒も飲めず、タバコも吸わず、子どもみたいにいつも遊んでばかり。
しかも1人で。
定職に付かず、というか社会に馴染めない人だったんだろうなと。
ただ、唯一の自慢は読経が出来たから地元にお寺がないことから住職の代わりにお盆や葬式のときにお経を読んだりしてたらしい。

母が子供のころからそんな感じだったとのことで、母は長兄に学費と生活費を月々援助を受けながら都会にある親戚の家々を転々と廻りながらご飯を食べさせてもらったり、住まわせてもらったり、働かせてもらったりした様子。

一番楽しかったのは本屋のバイト。
一番つらかったのは親戚の子どものベビーシッターだったとのこと。

母は高校時代のことを一切話そうとしない。

きっとつらかったんだろうなと思う。
つらいときの記憶や大変だったときの記憶って自分もそうだけど聞かれてもぼんやりとしか覚えてないもんだし。

時々、母も老いたのか地元を離れたときの事を話すようになった。
訛りがひどくて恥ずかしかったこと、お金がいつもなくて同級生に友達が出来なかったこと、遊んだ記憶よりお金を貯めて東京に住むんだって事だけを夢に見てたとのこと。

時々、実家を離れ1人生活するようになって思う。
巣立ちのときは人それぞれに遅かれ早かれ必ずどんな形かはわからないけども、わかりにくい形であるかもしれないが必ず訪れる。

いつしか自分を守ってくれるその存在もいなくなる。
自分を守るのは自分。
その自分を支えるのは明確な将来像。

こうありたい、こうなりたい、こうしたいという欲求と願望が自分を支える。

だけども、最近思うわけです。

そういうのが一切ない、祖父似の自分はどうすればいいんでしょうか

お母様。